【前編】白山へ登る理由 ― クロユリと僕の迷い【計画編】

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今年の夏山に向けて、新しい靴を買った。
スポルティバのアカシャ2。
ロングコースを軽快に歩ける靴で、これまでより少し遠くへ行ける気がした。
その靴を試す場所として思い浮かべたのは、やはり白山だった。

標高2700メートルを超えるこの山は、僕にとって特別な意味がある。
初めて2000メートルを超える高山に挑んだのが、この白山だった。

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あのとき稜線に立って見た景色、冷たい空気を思い切り吸い込んだ肺の奥の痛み、ただ黙々と登山道を踏む自分。
それが僕を完全に山の世界に引き込んだ。

あれからいくつもの山を歩いてきたけれど、不思議なことに白山の御前峰には再び立っていなかった。
「また行こう」と思いながら、気づけば時間ばかりが過ぎていた。

最近、ふと白山のことを思い出した。
多分、クロユリのことを頭の隅で考えていたからだ。

白山は高山植物の宝庫で、初めて登ったときに見た黒い花がやけに記憶に残っている。
クロユリ。
どこか妖しくて、美しくて、それでいて人を少し不安にさせる黒。
何気なく花言葉を調べてみた。

「恋、愛、呪い、復讐」

どうしてこんなにも極端なのだろう。
でも考えてみれば、それは案外、人間の真理なのかもしれない。
生きすぎた愛情が、あっけなく憎しみに変わることだってある。
誰の胸の中にも、小さなクロユリの悪魔は棲んでいて、ふとした拍子にそれが囁く。

暗いものはきっと醜い。
だけど、その奥には本来、深い愛があったんじゃないか。
形を変えてしまっただけで、もともとは誰かを想う綺麗な気持ちだったのかもしれない。

そう考えると、人間が持つ醜さもまた、どこか愛おしく思えてくる。
感情が複雑に揺れ動いていくことこそ、人間らしさの証であり、それが人間の魅力なのだと僕は感じている。

だからもう一度、白山に登りたくなった。
あのクロユリの黒が、僕の中のハイドを少しだけ慰めてくれる気がしたのだ。

そして白山には、くくり姫が祀られている。
人と人との縁を結び、またほぐす神様。
御前峰に立ったら、きっと祈るだろう。

「今の迷いが静まりますように。」

僕は今、資格の勉強を続けている。
将来、別の形で社会に貢献したいからだ。
でも時々、ふと立ち止まってしまう。
本当にここを目指していいのか。
もっと楽しいことに時間を使った方がいいんじゃないか。
旅行に行くとか、友人と夜遅くまで飲むとか、ただ家で映画を見て笑う夜とか。
そんな当たり前の時間を削ってまで、僕は何をやっているんだろうと。

迷いなく努力を続けられたら、どんなに楽だろう。
祈ったとて、何も変わらないのかもしれない。
それでも、僕は祈りたいと思った。

今回の計画は一週間前に立てた。
自宅から白山の登山口・別当出合までは車で約3時間。
夜2時に起きて出発し、5時には歩き始める計画だ。

目的は二つ。
御前峰への再登頂、そしてクロユリや他の高山植物に会うこと。

ルートは砂防新道から御前峰を目指し、帰りはお花畑の観光新道を下る。
撤退ラインは11時と決めた。
どれだけ山頂が近くても、11時には必ず下山を開始する。
御前峰に余裕を持って立てたなら、大汝峰や御池巡りも楽しみたいが、それもこのルールを守ってこそだ。

YAMAPでプランを作り、持ち物を一つずつ揃え、あとはその日を待つだけ。

前夜、布団に入るときにはきっと、またあの稜線を歩く自分を思い描くだろう。

クロユリは今年も咲いているだろうか。
僕の中の小さな悪魔は、少しでも静まってくれるだろうか。

それでもきっと、何も変わらないのかもしれない。
それでも、僕はまた祈るのだと思う。

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