2025年、YAMAPの記録では48座に登頂している。
登山を始めた頃は里山が中心だったが、白山をきっかけに高山へと興味が広がり、日本アルプス、とりわけ北アルプスの山々に惹かれるようになった。
ピークに立つこと、そこからの景色を眺めること。
ライチョウに出会えば、自然と気持ちが高鳴る。
そうした体験を積み重ねる中で、北アルプスを中心に登り、経験を重ねていきたいと考えていた。
ただ、ある時から自分の登山が変わったと感じるようになった。
ピークを目指す気持ちも、景色を楽しむ気持ちも、今も変わらない。
しかし、山の「選び方」が以前とは違っている。
以前は、未踏の山を優先して登っていた。
今は、その山に登る意味を考えて選んでいる。
白山の祭神は、くくり姫である。
人との争いをおさめた神とされ、人との出会い、別れ、人間関係に向き合いたいとき、白山に登りたいと考えるようになった。
自分の人生を一歩進めたいとき、新たな目標を心に誓いたいときは、立山雄山に向かう。
天国と地獄を表す立山には、生まれ変わりの意味があるとされているからだ。
こうして、自分の登山に「意味」を持たせるようになった。
その意味をさらに深めたくなり、立山博物館を訪れた。
そこで立山曼荼羅を知り、調べるようになった。
白山にも白山曼荼羅があることを知り、これもいつか実際に見に行きたいと思っている。
曼荼羅について調べる中で、ある考えに行き着いた。
地形を正確に表す地図はYAMAPにあるが、思想を表す地図が曼荼羅なのではないか、という解釈である。
昔の人々は、曼荼羅に描かれた世界観や思想を携えて山に登っていた。
それは、信仰に基づく登山であり、生き方そのものでもあったのだろう。
では、今の自分はどうだろうか。
曼荼羅に描かれた思想をそのまま受け取るのではなく、自分自身の考えを曼荼羅として定義することで、自分の軸を持つことができるのではないか。
そう考えるようになった。
曼荼羅を持つということは、人生の地図を持つということだと思っている。
その地図は固定されたものではない。
環境の変化や経験によって、周りは更新されていく。
ただし、中心だけは変わらない。
その中心は、自分の中にしか答えがなく、見出すこと自体が重要なのだ。
ソロ登山では、自然と内省が進む。
歩きながら考え、考えながら歩くことで、思考が整理されていく。
自分の芯は何なのか。
何に喜びを感じるのか。
そうした問いを繰り返し、一つの答えにたどり着いた。
ここではあえて書かないが、その答えを中心に、現時点での自分の曼荼羅を描いた。
今思うのは、華やかな北アルプスを楽しむと同時に、山岳信仰や曼荼羅にも、これから深く触れていきたいということだ。
YAMAPで地形を確かめながら歩き、曼荼羅という人生の地図を携えて進む。
その両方があってこそ、迷わず歩けるのだと思う。
2026年も、登山を楽しむ。

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