荒神の山、荒島岳を仰ぐ

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荒島岳は、福井県大野市に位置する独立峰で、標高1,523メートル。
日本百名山の一つであり、端正な山容から「大野富士」とも呼ばれている。
登山者にとっては、ほどよく険しく、雪に包まれる冬には一段と美しさが際立つ、福井を代表する山だ。

だが、この山はただの登山の対象ではない。
そこには、静かに語り継がれてきた“信仰の気配”がある。


白山信仰と荒島岳の位置づけ

荒島岳は、かつてから白山信仰の圏内にある山とされてきた。
主祭神を白山比咩神とする白山は、水の神・命の神として古くから信仰を集めてきた霊峰であり、
荒島岳もまた、白山を仰ぐ位置にある“周縁の霊山”と見なされていた。

それでも、荒島岳が白山の登拝ルートになったわけではない。
では、なぜ信仰の対象になったのか――その鍵は、地形と風景にある。


白山が見えない盆地から、荒島岳を通して祈る

僕が大野の街を車で走っていたとき、ふと「白山はどこだろう」と思って見渡したが、その姿は見えなかった。
おそらく、盆地を囲む山々に遮られているのだろう。

ところが、荒島岳に登っていくと、やがて白山が現れる。
特に冬の晴れた日、登山道の途中から眺める白山の峰々は、まるで空に浮かぶ神域のようだった。

この体験を通して思った。
大野の人々は、見えない白山を、荒島岳を通して拝んでいたのではないか――と。
荒島岳そのものが、白山への祈りを受け止める「遥拝の山」としての役割を果たしていたのではないかと感じた。


荒ぶる自然と祠の記憶

山頂には小さな石の祠がある。
名前もなく、説明もないその祠に、多くの登山者が静かに手を合わせていく。
その祠の存在は、信仰の名残である。

かつて、荒島岳の中腹には「荒島神社」があった。
しかし、文明年間(15世紀頃)に起きた雪崩によって谷底へと流され、社殿は失われたという。
のちに神社は山麓に再建され、今も大野市荒島地区に鎮座している。

この出来事は、まさに**自然の力=“荒ぶる神”**の象徴そのものだ。
人間が建てた社が自然に飲み込まれ、再び下に祀られる――それは、神が山そのものに宿るという感覚にほかならない。


荒島岳の神は、荒神(あらがみ)

荒島岳には明確な神名が残されていないが、祠の存在、地元の風「荒島颪(あらしまおろし)」、
そして自然災害の記録や地形から考えると、この山に祀られていたのは**「荒神(あらがみ)」的な存在**であったと考えられる。

荒神とは、性別を超えた、自然そのものの神霊。
それは破壊をもたらすと同時に、土地を清め、新しい命を与える力も持つ。

白山が「恵みの母」であるなら、荒島岳は「荒ぶる父」でも「寡黙な祖霊」でもない、
自然のままに“そこに在る”神性だ。


手を合わせる、その姿勢

僕は冬になると、荒島岳に登りたくなる。
そして、山頂から白山を眺めたいと思う。
雪に埋もれて祠が見えなくても、この山に手を合わせる気持ちは忘れずにいたい。

それは願いというより、自分の心を整える祈りなのかもしれない。


荒島岳は、白山の影響を受けながらも、独自の霊性をたたえる山である。
その神は、男でも女でもない。
雪と風と岩と空の、すべてを引き受けた「荒神」
その静かな神の前で、今日もまた、登る者の祈りが重なっていく。

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